設計の舞台に立つということ

2005年に耐震偽装というおかしな事件をきっかけに、僕たち構造設計者が社会で認知されるようになった。構造設計が認知されるのはいいことだが、これは彼の功績なのか、社会構造の変化なのか。本当はややこしい構造の話なんてどうでもよくて、1ドルでも安く造れるエンジニアを求めているだけなのか。なにかの育成ゲームのように。または箔をつけるためのお化粧の道具として。
木村俊彦さんの自著「構造設計とは」(1991発行)には建築と構造、建築の容姿と構造、あるいは構造の美と詩情、協力者の信頼ということで一冊の著書がまとめられている。ここでは僕たちが慣れ親しんだ数式や公式の類は出てこない。この著書は名著であると同時に僕の進む道を照らしてくれた道標でもある。

 

01_美ケ原の日の出
美ケ原高原から拝む日の出

 

02_長い影
長い影

 

設計の舞台に立つということ。

 

それは覚悟を持つことであるように思う。いつ舞い込んでくるかも分からないような設計のチャンスに、事前にどれだけ包丁を研いでおくことができるか。準備を怠りなくが理想だが、現実は常にやりながら研ぐである。木村俊彦さんにも常に包丁は研いでおくように言われた。

 

03_ますぐに続くレール

 

まっすぐに続くレール

 

身の程知らずな僕は、誰かがやったであろうことを同じやり方で踏襲するのはあまり好みではない。やはり連綿と培われてきた構造の系譜に従ってそのレールの上を歩んでいるのだが何か工夫をしたい。
そんな風に思う日々が続くが、実践するのは結構難しい。
設計においては、見切り発車になる部分はあるだろうが、たぶんいけるだろう。この勘所がとても大きな意味を持ってくる。
それにパートナーとなる建築家の言葉を理解するのにもそれなりの努力が必要である。

 

04_花を咲かそう

 

花を咲かそう

 

 

僕たち構造設計者は、常に大きな責任を背負うことになるが、同時に全てのことが既知である状態など有る筈もなく、設計者として舞台に上がるにはそれなりの知識と経験が必要という、ありふれた答えになってしまうがこれが結構重要である。

 

基礎的な学力に加え、倫理や美学、歴史観、付け加えて不断の努力と読解力が必要であるということになるが、それにより、今まで見たことのない世界があなたを待っていると思うと、まんざらでもない。
さあ建築を造っていこう。